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2007年10月05日

坐禅

俺もたまにこれをしているよ
日本人を思い出すね、。

姿勢、呼吸、心をととのえる(調身、調息、調心)。

坐る際には坐禅用のクッションである坐蒲(ざふ)を用いる。 座布団を二つ折りにしても代用することもある。坐蒲に腰を下ろし、膝を床につける程度に浅く、あぐらをかく。

足の組み方は結跏趺坐(けっかふざ)もしくは半結跏趺坐(はんかふざ)で行う。結跏趺坐のやり方は左ももの上に右足を乗せ、右かかとを腹に近づける。次に右ももの上に左足を乗せる。一方、左足のみを右ももに乗せるのが半結跏趺坐である。いずれも両足と尻との3点でつり合いよくすわる。

手は法界定印(ほっかいじょういん)を組む。右掌を上に向け、その上に、左掌を上にして重ねる。両手の親指先端をかすかに合わせる。

目は半開きにして視線は1m程度先で落とす。

あごを引き、舌は前歯の付け根に軽く触れるようにして口を軽く結ぶ。

肩の力を抜き、背筋を伸ばす。腰は引き気味で腹を少し前に突き出す。鼻とヘソが相対するように。

呼吸は自然にまかせる。鼻からゆっくり吐き、吸う。丹田から吐き出すという。

いくつかの寺では、座禅会が行なわれている。


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2007年09月19日

日本料理

一般的に米や野菜、豆類などの農作物、海産物、鳥類の肉などがよく使われる。 大豆加工食品が好まれる。低脂肪、高塩分であるとされることが多い。 特に、海産物を生食することは海外ではあまり見られず、日本料理の大きな特徴といえる。 調味には塩を主に醤油、味噌などの大豆加工品、日本酒や酢などの米加工品を使う。 甘みには旧来は味醂など用いていたが、最近は砂糖を使うことも多い。 ラード、乳製品などの油脂を含む調味料はあまり使用されない。このため、全般的に低脂肪、高塩分であることが多い。

彩りを出し、素材の味を楽しむために、味付け前の下処理に手間をかける。 焼き物の場合、下処理の済んだ食材に塩を振り、炭火で焼き上げるものが多い。 煮物、蒸し物の場合、出汁を基本に味噌や醤油を用いて味付けが行われる事が多い。 香辛料の類はあまり使われない。香味野菜を刻んだりすりおろしたりした物を好んで使用する(薬味もしくはかやくと呼ばれる)。

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2007年08月10日

将棋をやりましょう

やはり日本文化といったら将棋しかないでしょう。(もっとも海外から伝来したものではありますが)何手も先を読む洞察力、心理戦、忍耐力、日本人がほかの国の人たちより秀でてる要素が全て必要になります。

今日はみんなにも将棋の素晴らしさをしっていただきたいので将棋について語ります!

将棋(しょうぎ)は日本将棋、本将棋(ほんしょうぎ、歴史的には小将棋)ともいい、2人で行うボードゲーム(盤上遊戯)の一種である。チェス、シャンチーと合わせて世界三大将棋ともいう。

■歴史
将棋の起源は、古代インドのチャトランガ(シャトランガ)であるといわれており、ユーラシア大陸の各地に広がってさまざまな類似の遊戯に発達したと考えられている。西洋にはチェス、中国には象棋(Xiangqi;シャンチー)、朝鮮半島にはチャンギ(장기)、タイにはマークルックがある。

将棋がいつ頃日本に伝わったのかは、明らかになっていない。囲碁の碁盤が正倉院の宝物殿に納められており、囲碁の伝来が奈良時代前後とほぼ確定づけられるのとは対照的である。伝説としては、将棋は周の武帝が作った、吉備真備が唐に渡来したときに将棋を伝えたなどといわれているが、いずれも江戸時代初めに将棋の権威付けのために創作された説であると考えられている。

日本への伝来時期はいくつかの説があるが、早いもので6世紀頃と考えられている。このとき伝来した将棋は、現在のような五角形の駒形ではなく、古代インドのチャトランガの流れを汲む立像型の駒であったとされている。チェスでは古い駒ほど写実的である。ただしこの説の問題点として、現在までそのような形の将棋は発見されていないことが挙げられる。

遅いほうの説としては、平安時代に入ってからの伝来であったとする説がある。中国のシャンチーや朝鮮のチャンギがこの時期に日本に伝わったというものであるが、これらは駒を線の交点に置くことなど将棋との違いは大きく疑問も残る。これに対し、東南アジアのマークルックに銀将と同じ動きの駒があることから、近年はこの系統の盤戯が中国において改良され日本に伝来したとする説もある。当時の造船技術では東南アジアから直接日本へ伝わったと考えることは難しいものの、中国を舞台とした日本と東南アジアの中継貿易は行われていたことから中国経由の伝来は十分に考えられる。いずれにしても物証が乏しく、はっきりしたことは分かっていない。

将棋の存在を知る文献資料として最古のものに、藤原行成(ふじわらのゆきなり(こうぜい))が著した『麒麟抄』があり、この第7巻には駒の字の書き方が記されているが、この記述は後世に付け足されたものであるという考え方が主流である。藤原明衡(ふじわらのあきひら)の著とされる『新猿楽記』(1058年~1064年)にも将棋に関する記述があり、こちらが最古の文献資料と見なされている。

考古学史料として最古のものは、奈良県の興福寺境内から発掘された駒16点で、同時に天喜6年(1058年)と書かれた木簡が出土したことから、その時代のものであると考えられている。この当時の駒は、木簡を切って作られ、直接その上に文字を書いたとみられる簡素なものであるが、すでに現在の駒と同じ五角形をしていた。また、前述の『新猿楽記』の記述と同時期のものであり、文献上でも裏付けが取られている。

三善為康によって作られたとされる『掌中歴』『懐中歴』をもとに、1210年~1221年に編纂されたと推定される習俗事典『二中歴』に、大小2種類の将棋がとりあげられている。後世の将棋類と混同しないよう、これらは現在では平安将棋(または平安小将棋)および平安大将棋と呼ばれている。平安将棋は現在の将棋の原型となるものであるが、相手を玉将1枚にしても勝ちになると記述されており、この当時の将棋には持ち駒の概念がなかったことがうかがえる。

これらの将棋に使われていた駒は、平安将棋にある玉将・金将・銀将・桂馬・香車・歩兵と平安大将棋のみにある銅将・鉄将・横行・猛虎・飛龍・奔車・注人である。平安将棋の駒はチャトランガの駒(将・象・馬・車・兵)をよく保存しており、上に仏教の五宝と示しているといわれる玉・金・銀・桂・香の文字を重ねたものとする説があ]。さらに、チャトランガはその成立から戦争を模したゲームで駒の取り捨てであるが、平安将棋は持ち駒使用になっていたとする木村義徳の説もある。

これは世界の将棋類で同様の傾向が見られるようだが、時代が進むにつれて必勝手順が見つかるようになり、駒の利きを増やしたり駒の種類を増やしたりして、ルールを改めることが行われるようになった。日本将棋も例外ではない。

13世紀頃には平安大将棋に駒数を増やした大将棋が遊ばれるようになり、大将棋の飛車・角行・酔象を平安将棋に取り入れた小将棋も考案された。15世紀頃には複雑になりすぎた大将棋のルールを簡略化した中将棋が考案され、現在に至っている。16世紀頃には小将棋から酔象が除かれて現在の本将棋になったと考えられる。元禄年間の1696年に出版された「諸象戯図式」によると、天文年中(1532年-1555年)に後奈良天皇が小将棋から酔象の駒を除かせたとあるが、真偽のほどは定かではない]。

なお、16世紀後半の戦国時代のものとされる一乗谷朝倉氏遺跡から、174枚もの駒が出土している。その大半は歩兵の駒であるが、1枚だけ酔象の駒が見られ、この時期は酔象を含む将棋と含まない将棋とが混在していたと推定されている。

将棋史上特筆すべきこととして、日本ではこの時期に独自に、日本将棋では取った駒の再利用できるルール、すなわち持ち駒の使用が始まった。持ち駒の採用は本将棋が考案された16世紀頃であろうと考えられているが、平安小将棋のころから持ち駒ルールがあったとする説もある。近年有力な説としては、1300年頃に書かれた『普通唱導集』(村山修一、法蔵館、ISBN 9784831875587)に将棋指しへの追悼文として「桂馬を飛ばして銀に替ふ」と駒の交換を示す文句があり、この時期には持ち駒の概念があったものとされている。

持ち駒の起源については、小将棋または本将棋において、駒の取り捨てでは双方が駒を消耗し合い駒枯れを起こしやすく、勝敗がつかなくなることが多かったために、相手の駒を取っても自分の持ち駒として使うことができるようにして、勝敗をつけやすくした、という説が一般的である。

江戸時代に入り、さらに駒数を増やした将棋類が考案されるようになった。天竺大将棋・大大将棋・摩訶大大将棋・泰将棋(大将棋とも。混同を避けるために「泰」が用いられた)・大局将棋などである。ただし、これらの将棋はごく一部を除いて実際に遊ばれることはなかったと考えられている。 江戸人の遊び心がこうした多様な将棋を考案した基盤には、江戸時代に将棋が庶民のゲームとして広く普及、愛好されていた事実がある。 将棋を素材とした川柳の多さなど多くの史料が物語っており、現在よりも日常への密着度は高かった。 このことが明治以後の発展につながってゆく。フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋

まぁこんなに詳しく知る必要はないけど将棋は楽しいし、やはり今後も日本の大切な文化として皆に愛され続けていって欲しいと願っております。

最近の楽しみは子供と勝負する事です。実はなかなかセンスがあるのでうかうかしてられません。


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